湯河原駅前通り明店街

美容室トレヴィ 横山裕介さん

(足柄下郡湯河原町在住)

なぜ美容師になったのかというと…

 実は自分で「やろう」と思って美容師になったのではないんです。僕は二宮町生まれで、母が湯河原で美容院を 始めることになり、今のビルの隣に店をオープンして、僕が高校生の時に湯河原町に引っ越してきました。母は仕 事で忙しく、あまりいい環境の家庭ではなく、ほったらかしにされていた僕は悪い方向に流されていきました。高 校に進学しましたが色々あって、結局退学してしまいました。
 定職にはつかず遊ぶように暮らしていたせいで20 才になった頃、母に家を追い出されました。 仕方なく適当に 仕事をして暮らすことにしました。電気工事の会社、左官屋、ルートセールス、土産物屋、数か月ごとに仕事を変 えながらちゃらんぽらんに生きてきました。
 それでも親は何とかしようと思ったんでしょう。突然連絡があって「明日、試験があるからこの学校を受けろ」っ て言われたんですよ。それが美容学校でした。ちょうど21 才になるぐらいでしたね。
 じゃあ行ってみるかと試験会場に行ったら、高校生やら社会人やら人がたくさんいて、これは受からないだろう なと思いながら面接を受けました。思いがけず何とか美容学校に通うことができることになりました。今は制度も 変わってしまい学校も無くなってしまいましたが、小田原にあった職業訓練校、一種の専門学校です。1年制で技 術などを学びました。母親の店を手伝っていたこともあり技術的には他の生徒より有利で、あまり苦労することも なく卒業することができました。制度として美容は1年間インターンで働いた後、国家試験を受けるという流れに なっていまして、僕もその流れで資格を取り美容師になることができました。
 兄も同じように美容師になり、二人ともそれぞれ店に入る前に外に修行にでることになりました。兄は東京の青 山で、僕は名古屋です。当時の美容業界は非常にブラックな職場でしたね。技術を先輩に習うのにしても、朝は必 ず先輩より先に店に行って先輩の分まで掃除をし、先輩の時間をつくり「教えてください」って習うんです。帰り は先輩の分の片付けもして、居残って練習するとか…。「教えてやってる」っていう感じの先輩も多かったですね。 いろんな美容院で働きましたが、僕は人の下で働くのが苦手なタイプで一つのところで長く続くことは少なかった です。
 二人が湯河原に戻ってくるぐらいの時に、現在の店舗があるビルが売りに出されているということで、購入して 今の場所に美容院を移転オープンしました。その後、親が2Fで写真館も始めて、兄は美容院よりも写真館の方を やりたいといことで兄が写真館、僕が美容院という現在の形になりました。
 美容院の方は、都会の町と同じように髪を整えたいという方が来てくださっていて。じわじわお客さんが広がっ ていきました。僕は40 代になるぐらいの頃に店を引き継いで現在まで続けています。

湯河原駅前通り明店街との関わり

 昔は大型店の屋上に子供が遊べるような遊園地があり、今の倍 近くの色々な店があったと記憶しています。アーケードもありま した。街の人や温泉に来る観光客で賑わっていたようです。
 商店街の催事といえば景品当てのガラポンをやっていました が、僕はそのやりかたに不満を持ったんです。お客さんがぜんぜ ん当たりを引けてない。1人のお客さんがガラポンを何回まわし ても当たりが来ない状態ですね。僕は1人が5回まわしたら1回 当たりが出るぐらいじゃないとお客さんが来てくれないし、まず いと思ったんです。それで当時の事業部長に言ったら「なるほど」 と分かってもらって、最初は5回に1回は当たりが出るように玉 を入れてみました。 さらに3.5 回に一回当たりが出るように 100 円の当たりを減らして50 円の当たりを増やしたりしたおか げで、徐々に参加してくれるお客さんが増えてきたのです。
 そんな感じで商店街活動に関わるようになりました。当時の事 業部員が僕のことを「面白い奴がいる」と商店街仲間に紹介して くれて、僕が事業部長を引き継ぐ話があり、会長に「何かあって も俺が責任もってやるから、好き勝手やってみなよ」と背中を押 され、僕がいるうちは商店街を解散しないという条件で引き受け ました。

商店街活動が楽しくなってきた。手作り市イベント「ぶらん市」

 老朽化したアーケードの解体や手作り市「ぶらん市(ち)」を始めることになり、自分がイメージすることをう まく形になる活動ができると思いました。
 僕は中学生の時に演劇をやっていて高校生には演劇部がなかったので自分で作ったんですが、学校に行かなかっ たったんですよね。学生時代の部活を楽しむことや達成感を感じることを自分からなくしたのですが、自分の中で は商店街のイベントが学園祭みたいな感じでいたと思います。
 ぶらん市を初めて開催した時に僕はステージイベントもやりたくて、みんなに「手作り市の時に、ステージイベ ント合わせるなんてどこもやってないよ」と言われたんですが強行しました。でもやってみたらけっこう良かった んですよ。「やって良かったね」「ありがとう」と出演した地域の子供会のみなさんも喜んでくれました。その時に 自分も少し考え方が変わってきて、今まで文句ばっかり言っていたけど自分で考えて試行しながらイベントや事業 をやっていくのもいいなと思うようになった。ぶらん市の立ち上げ前後で、人から「やっと一人前になったね」だ とか「やっと普通の人になったね」みたいなことを言われるようになりました。
 ぶらん市は、「手作り市」なので何度やっても充実感があります。音響設備も外注しないで自分たちでやってい ます。商店街の本部ブースでも何か売ろうという話になって、フライドポテトを揚げたりしてどんなことでも手作 りで挑んでいます。だから、毎回達成感というか充実感がありますね。
 他の商店街では、いろんなことを外注し過ぎてイベントを続けられなくなってしまった話も聞きます。それに活 動する役員が少なすぎるとあの人たちが内輪で何かやっているみたいな感じに見られてしまいます。僕らの場合は 少ない人数ではありますが、ぶらん市に関わる人が多いのでイベントが近くなると商店街の会員さんが「大変だね」 「いつもありがとう」って声掛けてくれます。みんなが走り回っているのを見てくれていて、良くやってくれてい るなって思ってくれるのでありがたいと思っています。

川崎モトスミ・ブレーメン通りとの友好提携と交流事業も

 昨年の秋に、初めてモトスミ・ブレーメン通りのイベントに出店させて頂き勉強になりました。街の形も状況も 全然違って、客層も全然違うので、商売のスタイルや価値観など色々と経験しました。また、ブレーメン通りの皆 さんにぶらん市のステージにブレーメンバンドとして出演してもらい、その歌と演奏を湯河原の子供たちがものす ごく盛り上げていたので、ブレーメンの会長が子供たちをブレーメンに招待したいと言ってくれました。なんかこ ういう交流も面白いですね。
 僕は「Web3.0」に興味があって、商店街からお客さんに、複製できないデジタルスタンプみたいなものを発行 して、それを持っていると色々な商店街事業に参加できるみたいなこと出来たらいいなぁと思っています。他にも 商店街で買い物をしたら「自分が持っているデジタルキャラクターに装備がつく」みたいなことをブレーメン通り と一緒にやってみたら面白いかなぁとも思っています。子どもたちにも商店街に興味をもってもらえることをやっ ていきたいですね。

明店街のキャラクター「あかりちゃん」

 10 年位前ですかね。子どもたちに商店街があるっていうイメージを持ってもらうのに 何かいい方法はないかと 思った時にキャラクターを思いつきました。その頃は、ゆるキャラ全盛期で湯河原には「ゆたぽん5」がいましたが、 彼らは喋れないんですよね。喋ったり歌ったりできる沼津市の「ラブライブ!」みたいに元々のご当地アニメがあ ればいいんですが、何もなかったので自分で作るしかありませんでした。まあ、元々アニメ好きでしたので子ども の注目を集めようと考えたら2 次元キャラクターがすごく馴染みがあると思ったんです。
 2014 年8月の第5回ぶらん市で「あかりちゃん」がデビューしました。以来、イラストレーターさんに様々な イラストを描いてもらい、明店街のオリジナル商品を彩ったり、ミュージシャンの人たちと連携してボカロ曲をリ リースしたり、様々なクリエイターさんたちと一緒に 活動を続けています。これが 10 年、20 年して、子どもた ちが大人になって、あかりちゃんを見て「まだ元気に活動しているんだ」と懐かしく思ってもらえたらいいなと思っ ています。

大事なことは繋がり、子どもの記憶に残る商店街

 商店街で一番良いことは人のつながりがあることだと思うんです。息子が小学生の時に、朝「父ちゃん干物が欲 しい」って言うんですよ。野外学習で使うんですけど、朝言われてもあるわけないじゃないですか。もしかしたら 商店街の魚屋にあるかもしれないと思って、朝電話入れたら用意してくれて。そういうつながりっていいなと思い ました。最近はちょっとしたものならコンビニで買えるかもしれませんが、気さくに話せるつながりがあって助け 合える関係があるところが商店街のいいところだと思います。そういう風に知り合いの輪があると子どもが事件に 巻き込まれずに済んだりとか、非行にも走らないとか、そういうのはあると思うんですよね。
 商店街や商店を残していくことも大切ですが、僕個人としては商店街を子供たちに印象づけたいと思っていて、 もし商店街がなくなったとしても「過去にここに商店街があったなぁ」なんて覚えてもらえたらいいなと思ってま す。

若い人に向けてのメッセージ、開業したい人に向けたメッセージ

 商売はきっと楽しいと思います。みんな不安に思うこともあると思いますが、考え過ぎないようにした方がよい というか、学生の文化祭をイメージしてもらって「模擬店を自分が仕切るぞ」みたいな感じであんまり深く考えず にやるといいと思います。楽しいと思いますよ。僕もイベントなどで何か売るのは楽しいと思っています。
 どうなるのかなって心配するよりも、やってみたら楽しいって思うといいですよね(思い込むw)。昔の商店街 だと新しいお店ができたら周りの店がお世話をして、お客様を紹介してくれたりみたいなことをしてくれましたけ どね。今はそういうのは時代に合わないかもしれないけど、商店街の人が新しいお店を歓迎していることは変わら ないので、みなさん気軽に仲間になって色々とお話できたらなと思います。