和菓子屋を引き継いで
父親の経営している和菓子屋を18歳の時に継ぐことに決めた。鎌倉や御殿場で修行を積んで、技術を身につけた。
稼業を継ぐ事が当然と考えていたので 会社員になることは頭になかったし、会社組織の中で働くのも自分自身苦手
だった。23 歳で家に戻り父親から店の味を教わった。その頃は、店も商店街も元気で賑わっていた。
当時は、川崎市川崎区藤崎(今の藤崎店)で営業していた。その後、約30年前に川崎の鋼管通りにも店を構えた。
鋼管通りは日本鋼管があり、川崎駅からの社員の通勤や社宅、病院などもあり、商店街は 活気があった。23歳の
時に川崎市商店街連合会の青年部に入り市内の商業者との情報交換、講習会や勉強会に参加した。そこでの活動から
商売やまちづくりについての知識や刺激を得ることができた。 また、県が主催した異業種交流会「アナザーワン」
に参加、他の業種との交流などで自分の知識が深まった。
川崎市商店街連合会の商業大学では 成功した社長や 中高生など、様々な年代の方を講師として呼び、商売のノウ
ハウや若い世代の興味・関心などを学ぶプログラムがあり、川崎市内の若手商業者が 集まって職種を超えた交流・
勉強する会へも参加した。
青年部卒業後も同じ考え方の人と交流したいと思い、県の異業種交流会に加盟した。 年上の40代の方たちに可
愛がられて、いろいろな話や経験を聞いた。 交流会は自由でフラットな雰囲気だった。 懇親会では知らないお店に
連れて行ってもらい、楽しい思い出ばかりだった。
神奈川県商業流通課の鈴木さんからも流行や勉強会の情報をファックスで送って頂いた。ネットが普及する前で、
色々なものを知る機会となり本当にためになった。
その後、川崎駅前が発展して地下街やルフロンができた。この頃から工場が中心だった 川崎が商業都市に変わっ
てきた気がする。工場が地方や海外に移転して、社宅や社員が減っていった。 鋼管通りの後ろにあった昭和電線電
纜の工場も相模原へ移転し、その跡地に大型スーパーができたせいか、生鮮産品の店が無くなっていった。
和菓子屋として工夫してきたことは
仲間の和菓子屋のご主人と一緒に飲みに行った時に、糖尿病でも安心して食べられる砂糖を 紹介して頂き、その
砂糖を使った和菓子を作りたいと考えた。 鈴木さんが紹介してくれた専門医と一緒に、さらに食物繊維を入れてカ
ロリーを抑えた和菓子を開発した。その和菓子を専門医の患者さんや 高齢者施設で試食してもらい好評を得た。普
通の和菓子だと一つしか食べられない人が、この和菓子だと二つ食べられることで、 糖尿病の人の生活に彩りを与
えることができた。
その和菓子を異業種交流会で 発表した。 日本テレビさんが取り上げた事により、反響が大きく、新聞のお問い合
わせ先から神奈川県庁の電話がパンクした。
40代の時に 茶道の勉強を始めた事により、茶道の方のお菓子も作るようになった。それが 他の和菓子屋さんと
違うところかもしれない。 他には和菓子屋同士のネットワークを大切にしている。 そのネットワークで新岩城菓子
舗という和菓子屋を支えたことがあった。 新岩城菓子舗はおじいさんが 和菓子職人でお店を経営していたが、病気
で倒れ普通の主婦だった女将さんが後を継ぐ事となった。 市内の和菓子屋さんが新岩城菓子舗 のお店で足りない商
品を補ったり、 商品の作り方を教えたりした。 現在は 息子夫婦が手伝っている。 新岩城菓子舗は Facebook を積
極的に活用して PR している。 自分はそういう事は 苦手で向いていないので、人と話すことでコミュニケーション
や情報取集を行うかたちで商売をしている。
今の和菓子屋の現状
四代目の息子、健太が修業から戻ってきたばかりだが、まだ全部を任せられるような状態ではない。 今後は 和菓
子屋が無くなっていくのを心配している。 しかし、辞められた和菓子屋さんからの紹介が結構多い。 川崎区では平
成元年に30軒あった和菓子屋が令和元年には10 軒以下に減ってしまった。
茶道の勉強をしている関係で、茶道教室や学校の茶道部に お菓子を提供している。 また、若い人向けのお菓子も
作っている。 例えば、いちご大福やトトロの和菓子などお子様や若い人、イベント用に作ったりしている。 若い世
代に和菓子の良さを知って頂く事が 和菓子屋を続けていく鍵になると思う。 コロナでイベントが出来ない期間が続
いたが、これからも息子に引き継げるよう頑張っていきたい。
今取り組んでいること
商店街の会長に就任した。 会議や予算、事業計画などやることは沢山ある。 書類の作成、補助金の申請など最初
の1年は先輩がフォローしてくれたが、翌年からは1人の作業で大変だった。 県から派遣してもらえるアドバイザー
にサポートして頂き進めている。
少しずつだが商店街の活性化に向けて 様々な取り組みを行っている。 例えば物々交換会では、子どもたちを介し
てお店やお客さんの 使っていない持ち物にポイントを付けて、それを交換して楽しむ。 また、子供放送局では、子
どもたちが商店街の お店を紹介する動画を作って YouTube にアップする。 これらのイベントは、商店街の魅力を
広く知ってもらうとともに、商店主と地域住民のコミュニケーションを高めるのに役立っている。
後継者が少なくて元気がなくなった商店街に少しずつ活気が戻ってきている。「何をやっても無駄だよ。」と言っ
ていた店主がやる気になってくれる。かつては賑やかだった商店街が、企業の倒産や人口流出などで衰退してしまっ
た。 しかし、ダメだと諦めずに 伝統的なお祭りを新しい感覚で行ったり、新しいイベントを考えたり、活気のある
商店街の復活を目指している。
また、人のつながりも大切にしている。 子どもたちが商店街に興味を持つことは、親や 祖父母も 商店街に目を向
けることにつながる。 また、地域の人たちが 商店街に来てくれることは、商店主にとっても 励みになるし、商店街
と地域社会の絆を強めることで商店街の活性化に繋がると思う。
何よりも自分たちが楽しいと思い始めることが、人々を引き付けると考えて始めている。
個人的な趣味
なかなか上達しないが中学校の友達とゴルフを楽しんでいる。 休みを合わせてゴルフ場に行っている。 同級生と
は何のわだかまりもなく話が出来るのでストレス解消と気分転換は重要である。
また、異業種の人たちとも ネットワークを広げている。 ペンキ屋さんや自営業の方などと 飲みながら、情報交換
をしたり相談したりしている。思いがけない話が、自分の仕事に繋がったりすることがあり、楽しい。
これから商店街で開業を目指す若い人に
商店街で商売するには どんな業種や商品を扱うかにもよるが、やっぱりネットワークが 大事だから、若い時から 色々な人と関わっておくべきだと思う。 鉄道沿線の商店街は利便性が高くていいけど、家賃や経費もかかる。 川崎 駅周辺にもあるアーケードのある商店街は見た目のまとまりもあって商店街らしい感じが良いが維持・管理も大変。 駅から離れた商店街で仕事をするには、地域の人との会話や 一緒に何かをやっていく気持ちが大切だと思う。 近 年は SNS などを使ってネット集客・販売なども出来るから利便性は 関係ない商売もあると思うが、 自分はやはり 人と人が支え合い、会話できる街に参加することが良いと思っている。