小田原名物ギョサンの「マツシタ靴店」松下 善彦さん

(1972年生まれ、神奈川県小田原市出身)


靴屋を継ぐ経緯

 小田原は城下町で、修行をしていた名古屋に似て郷土愛が強くプライドが高い独特な雰囲気があります(笑)  私の店は小田原で創業、大正7年に初代が始めたお店なので、今年105周年の靴屋で私で4代目となります。  バブル期の前位にはここの本店のほかに現在トザンイーストがある場所にあった登山デパート・錦通り・鴨宮に も店舗を構えていて小田原では少し名の通った靴屋でした。
 私は次男で小学生くらいまでは兄がお店を継ぐものだと思っていましたが、兄が継がない宣言をした頃から両親 からは「お前がやるんだぞ」と言われ、中学生の頃には自分が継承しなければと思うようになっていました。
 ビジネスマネジメント系の専門学校を出た後、革靴の総合メーカーに入社し製造から販売まで靴に関するノウハ ウを学び、その後店に戻りました。


「ギョサン」との出会い

 最初は両親や従業員さんが仕入れた靴を販売し、常連客の顔や好みを覚える事、店内の商品配置などに追われて いました。数年が経ち、自分が売りたい靴を考えるようになり、色々と模索していました。そんなある日、知人か ら俺がいつも履いている「ギョサン」が壊れちゃって。小笠原で買ったものなのだが本土では手に入らないから探 してみてくれないかと頼まれました。
その時「ギョサン」の存在すら知らなかった私はとても探求心をくすぐられたのを覚えています。
インタ-ネットで「ギョサン」というキ-ワ-ドで検索してみても当時はほとんど情報が載っていませんでした。 小笠原では「ギョサン」というネーミングが浸透していたが、本土では全く知られていないことが要因でした。  実物を見てみたい一心で問屋さんやメーカーさんを探し、ようやく見つける事ができました。当時は俗にいうト イレ用サンダルのような茶系や冴えない色のものしかありませんでした。しかし、商品自体は日本製で作りが良く、 丈夫で耐久性があり、濡れた路面でも滑らない、そして安いという、大変魅力的で可能性のある商品だと思いました。  始めはそのあり色を仕入れて販売を開始しました。


テレビが経済に与える影響に驚かされる

 仕入れられたのはよかったが、発売当初は認知度が無くほぼ「売れない商品」でした。このままではまずいと思い、 当時流行りだしていた ブログや SNS を駆使し「ギョサン」という キャッチーで 面白おかしいネーミングと 丁寧な 商品説明を心掛け発信すると徐々に認知されるようになりました。
 メーカーに協力を仰ぎ、若い世代や女性にも 広く使ってもらえればと考え、街でも 映えるよう綺麗な 色で製造し てもらったり、サイズのバリエーションを徐々に増やしてもらいました。
 そんな折、ブログを見てくれた記者さんから 取材を受け 新聞に掲載してもらいました。 テレビや雑誌にも取り上 げてもらい大ブレイクしたのです。
 芸能人からも支持され、ネット販売も好調になってきました。 テレビと芸能人の力に ほんとうに驚きました。 放 送された 次の日は お店の前に行列ができることもありました。 ネット販売を含め 1日に何千足もの「ギョサン」が 売れ在庫商品がほぼ無くなることもありました。
 多くのマスコミで取り上げて頂き、「小田原の名物」=「ギョサン」という感じになってきていて、 観光に来たつ いでに「ギョサン」を 買うのではなくて、「ギョサン」を買いに来ながら 小田原観光していくみたいな人も 結構増 えています。 またネットショップで 購入していただいた方に 実際に小田原へ来て頂く為にギョサンのチラシの裏側 に小田原の観光マップを載せています。
 ギョサンという商品に 出会った事で思いがけないところに ビジネスチャンスがあると感じました。 「ギョサン」 の販売は拡大し、店頭販売のみならず 卸売り販売や 小田原箱根エリアの旅館や ホテルでもアメニティーとして使用 して頂いています。
 今は「進化系のギョサン」を考え、雪駄タイプのものや 靴下を履いたままでも 履いて頂けるサボタイプのもの も 販売しています。色もマーブルやヒョウ柄なども取り揃えてお客様の要望に応えています。


地域活性化のために

 小田原で 30代、40代の 若手事業者を中心に「おだあし」という異業種交流勉強会を立ち上げました。 小田 原と足柄の地名から取って「おだあし」といいます。結成当初は年1 回以上勉強会を開催して交流や情報交換を図っ ていました。
 現在はコロナの影響や核となるメンバーが忙しくなって開催ができなくなっています。神奈川西部の若手が集ま り前向きに未来を語り合うことは個々の励みにもなり、大変有意義な時間です。私自身もいろいろ勉強させてもら い、成長できました。私も50才を過ぎ、ちょっと大人になって人生の後半に入ったので、次に続く若い人を育て なきゃいけなという思いがあります。
 いろいろな人との付き合がないと商売は成り立たないというか、それもあって今でも皆さんと繋がっていますね。  小田原だけではなく箱根、真鶴、湯河原・山北・松田・開成なども一緒になって行政区を越えて盛り上がればい いと思います。


これから商売を始める若い人へ向けて

そうですね。商売だけじゃない 色んな出会いがあって人は生きている・生かされているのだとと思います。だか ら人の繋がりは凄く大切なもので、自分自身が進んでおもてに出て行って切り開いていかなければ人脈は広げる事 は出来ません。
 緩い感じのお付き合いから横の繋がりが出来きて、全然ちがう職種の友達や仲間が出来る事で今までの観点とは 違うアイデアをもらったり、楽しみ方を教わったりすることが出来ました。お互いに助け合う「共助する心」も生 まれた。
 その町に元気で面白い店主がいることはその地域にとっての財産の一つであると思います。自営業であるからこ そ、普通の会社の中にいたらちょっと変わった人みたいな人がその力をはっきしていける。また、その人たちと触 れ合うことで一般の人もなにか人生が少し楽しくなったりするのかな。若い人もそういう発信をしていけるともっ といい世の中になるんじゃないかなと思います。