横浜愛と美容愛、そして人材育成に目覚める
わたしは横浜生まれの横浜育ち。完全なハマッ子で横浜愛が強すぎて横浜から離れられない人生を送っています。
高校を卒業したら早く自立したくて、また自分自身で何かやりたいという気持ちがすごく強かったと思います。ま
ずは就職して社会人として活動できる存在になりたいと思い、化粧品会社に就職しました。
当時一番花形と言われていた百貨店の売り場で働くことになり、美容技術や接客対応、メイクやエステティック、
スキンケアのレッスンなど、美容に関する事はほぼ実戦で学ぶことができました。
美容界のプロとして知識や技術をマスターするにつれて、人材育成に興味が出て、後輩の指導にあたるのがとて
も楽しくて。人を育てるということは自分も一緒に成長することになる、自分の経験を伝えて後輩が育っていく過
程の中で、人それぞれのいろいろな考え方を理解するという自分の勉強になりました。
子育てしながらも社会と繋がりを持つ
社会人として生活する中で、結婚や出産という女性がたどる道をわたしもたどりました。一旦は会社を退社して
家事や子育てに専念していましたが「やっぱり社会で活躍したい」「子育てしながら何かできないか」とずっと思っ
ていました。
常に何かをやっていたいという性分なものですから、早く外に出たい外で活動したいとばかり考えていました。
気が付けば子供を抱っこして、色々な場所に飛び出して行きました。当時は赤ちゃんを連れてあちこち闊歩する人
はあまりいなかったので、そうすることでどんな障壁があるか、その立場の人の苦労も分かりました。今でもその
経験は役に立っています。
何かやりたいという気持ちと子育てもきちんとしたい気持ちが強く、これを両立させるにはどうすれば良いのだ
ろうかといつも考えていました。最初は子供が幼稚園に行っている間だけ週に何時間かエステティックサロンで働
くことになり、再び社会との繋がりを持つことから始めました。他にも空いている時間に飲食店など色々な職種を
経験しました。
そして自分の店を持ち、起業の道へ
子どもが小学生になり、時間に余裕が出てくるとエステティックサロンでの技術・接客の仕事だけではもの足り
なくなって、お店をもっと良くしたいという気持ちが出てきました。当然自分の店ではないので勝手なことはでき
ません。そんな時、先輩が「あなたは自分でやったほうがいいよ」と背中を押してくれました。「自分でやれば良
いのか」。
当座、開業について調べたりもしたのですが結局は、実際にやってみないと分からないなという結論に達し、す
ぐに行動に移すことにしました。
PTA や 地域活動もやりながらできる事業をと考え、ローリスク・ローリターンを 踏まえた小さなサロンを自宅
近くに立ち上げることにしました。それがオアシス・デラーナです。在庫を持たずに始められるフランチャイズ的
な仕組みを活用して、化粧品販売とフェイシャルエステ、メイクのサロンをオープンしました。
人の美しさは健康から。「美と健康」をテーマに
わたしの店は「美と健康」をテーマにしていて、本当の美しさとはその人の良いところがもっと輝くようになる
ことだと思うんですね。心と体が健康でないと美にたどり着けないということに気づいたんです。
化粧品会社の時には、新商品やキャンペーン商品を販売して導くというスタイルになりますが、本来はもっとそ
の人に合ったケアを提案したいと思っていました。化粧品会社に勤めていれば当然化粧品を売ることに集中しない
といけない。 でもやっぱりすぐに化粧品が必要でないなら別の方法で 10人に 10 通りの提案がしたい。 困り事や
肌の状態などはみなさん違いますから、「地域のかかりつけサロン」になりたいと考えたのです。これがオアシス
デラーナの原点です。
親の介護が、お客様へのサービスの原動力に
開業してからしばらくしたころ、ほぼワンオペで家庭のこと子供の学校のこと店の営業をなんとか回していたと
ころ、さらに親の介護を経験することになりました。
当時親の介護をしていることは、お客様には内緒にしてくれとスタッフに頼みました。お客様に少しでもリフレッ
シュしてほしい、介護をしている私を気遣うことなく過ごしていただきたい。
こうした経験は私の中に大きな葛藤を生み、そして受け入れることを学んだ転機でもありました。今は認知症対応
の養成講座なども主催して、地域で高齢者の方たちを支える活動、障がい者支援や子育てサポートも進めています。
お店の一部を起業家の活動の場に、シェアサロンへ
オアシスデラーナは人と人をつなぐサロンとしてスタート、16 年目を迎えます。仕事と家庭を両立させていく
のは昔から難しいことですが、なんとかここまで続けてこれました。この経験をもとに起業したいと考えている方
への支援も 10 年前から始めています。
サロンの一部をシェアサロンという形で、色々な職種の人に使ってもらうことにしました。最初からお店を構え
て維持していくというのはとても大変なことで、やっぱりリスクだなと思うんです。だから試行できる場所がある
といいなと考えたんです。実際に現場を体験して起業のステップを踏むことができればもっと先の目標への足がか
りになるかもしれない、とパートナーシップを結び起業家育成サポートが始まりました。
お互いが育ちあう、シェアサロン
単なる場所貸しはしたくなかったんです。同じ空間でパートナーとして一緒に学び成長したい。接客のしかたか
ら始まり、オペレーションや店内の清掃、お客様をお迎えする準備とか集客の仕方などを一緒に学んでいく形をとっ
ています。こうしたことをゆくゆくは全部自分でやらなきゃいけなくなるので、起業家さんとわたしも一緒に身体
を動かしてやっていくわけです。
ネイリストさんや整体師さんアロマの先生、そして音楽教室の先生もパートナーとして活動しています。音楽教
室の先生は自宅で生徒にピアノを教えていましたが、さらに教室を増やしたいということで場所に困っていました。
発表会なんかもここでやったりしたんです。コロナ禍の時は発表会ができる場所がなく、小さくここで開催して
生徒の保護者さんたちがとても感激されていたことがありました。
音楽教室の先生は3人の子育てをしながらがんばって起業をしている方でこういうお手伝いができることが、わ
たしが大切にしている起業支援の形なのだなと再認識することができました。
地域のことをやりたくて商店会の立ち上げへ
大口駅周辺にもいくつかの商店街がありますが、後継者がいなくて閉店するお店も増えてきていました。それを
見てわたしは近隣の商店街に提案に行ったんです。「起業家のチャレンジショップ」とか「地域の特産品を集めた
アンテナショップ」をやってみてはどうか。
当然古くからの体制が残る商店街はすぐに行動が起こせるわけもなく。それで日頃から個人店と一緒にマルシェ
やライブなどのイベントを既存の商店街の外側で開催していました。
それからしばらくしてコロナが猛威をふるい次々と店は閉まりイベントは中止になりまちに人の姿がなくなりま
した。まちが、ひとが死ぬ!夢も希望もないまちを子供たちにこのまま渡していくことはできない。いまこそ新し
いまちをつくらなくてはと覚悟が決まりました。
これまでの経験から、それをかたちにするには個人の力では難しい。神奈川県に相談しよう。大きなことをかた
ちにするため一念発起しました。私のこの想いを2 時間伝え続け、県から「応援するからやってみなさい。」と背
中を押してもらい2ヶ月でスピード発足したのが大神商店会です。
大神商店会は、新しい時代のまちづくりをしていこうといろいろ取り組んでいます。初年度は加盟店舗やまちの
スポットを知ってもらえるマップづくりを行いました。そして翌年は公式ホームページ「大神ナビ」を立ち上げ、
更にまちのキャラクターとグッズをつくりました。コロナ禍の真っ只中に新しいまちをつくり良くも悪くも有名に
なり、あちこちから取材を受けていました。
当会のコンセプトのひとつ多世代交流。赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまで、すべての世代の方々を
つなぎ、地域で子育て、教育、高齢者を若者が支えるまちづくり。
とにかく地域と人をつなぐというのがこの商店会のキーワードなんです。
高齢者と若い人たちをつなぐ場としてスマホ教室をスタート
ものすごいスピードで時代はどんどん変わり、今の子供たちがなじむデジタルのツールも使いながら、リアルな
店や人とふれあうアナログの大切さも伝えたいと思っています。子供たちは生まれた時からスマートフォンがあっ
て、それがないシニア世代とのギャップがあったりします。まちづくりを通じて、アナログとデジタルの融合みた
いなことを起こせないかなと思っていたんです。
それで、商店会が率先してキャッシュレス決済とかスマホを使った取組みに積極的に関わることにしました。今、
商店会として、高齢者の方に対するスマホ教室を開催していますが、教えるのはわたしたちミドル世代ではなく学
生や子供たちです。若者が先生となり、おじいちゃんやおばあちゃんに教えてあげる場をつくり、その橋渡しをす
ることが我々の役割だと思っています。
おじいちゃん、おばあちゃんは孫世代からやさしく教えてもらい、涙を流すほど喜ぶ。スマホ教室で集まったのに、
スマホを忘れてしまうほど若者とおしゃべりしているのが楽しいみたいでほほえましいんです。1対1 で丁寧に対
応してもらえる、それがすごく人気になっていますね。
また、高齢者の拠り所になるようなコミュニティーをつくれたらと思い、終活講座、転倒防止の体操教室とか、
認知症サポーター講座を開催したりして、そこに入ってもらう若い人たちの成長と勉強の場になっています。
地域の枠を超えていく
大神商店会は従来のアーケードの商店街とは少し異なり、西寺尾、松見町、子安、入江、大口、神之木という6
エリアを対象としています。
今、まちはどんどん変わってきていて。お肉屋さんや魚屋さんなどの商店はどんどん少なくなって、チェーン店
やドラックストア、コンビニが増えてきています。わたしたちは古き良きものを守りつつも、新しい業態を一緒に
共存していくしかないと思っています。
多種多様な方に商店会に入ってもらう
わたしたちの商店会では、一般的な商業者に加えて学校も施設も企業も個人も、みんなが参加できる体制にして
います。いろいろな立場の人がいて、法人さんもいれば、福祉の人や学校、個人事業主もいます。地域のために何
かしたいと言うボランティア会員さんや、会社にお勤め人の人もいます。
近隣の方々から「一般の人も商店会に関われるんですか」という質問をもらうんですが、もちろん関われますよ
ということで受け入れています。今までの一般的な商店街ですとお店がそこにないと会員になれないと思いますが、
当会の場合はどんな立場の方も色々な枠で受け入れています。
特に最近は、若い人が入ってきています。わたしはそれにすごく感激しています。彼らはボランティアをやりた
いけどどこに行ったらわからないし、どうしたらいいかわからないと言います。わたしが商店会でこういう活動を
しているけど参加してみたら?と話すと、それなら僕もやりたいと加わってくれています。
大神フェスタで会場運営のお手伝いをしてもらったら、すごくいい経験になりましたって言っていて。その子た
ちがすごく喜んでやってくれることが会の力になっているところもあります。そうした姿を見て、今度は小学生、
中学生の子どもたちが、お兄さん、お姉さんの活動に興味を持ってくれる好循環も起きていて。いろいろな世代の
層が地域に関われる体制づくりが進んでいます。
他の商店街とも連携するまちゼミイベント
今では、大口商店街など、他の3つの商店街と一緒にイベントをしたりしています。他の商店街の会長さんとも 協力しながらやることができています。イベントを通じて大神商店会に一定のご理解はいただけていると思います。 既存の商店街のみなさんは、ご高齢だったりすることもあって自分たちで動くのは難しいと思うところもあるよ うで、現場のことは若い動ける人にやってもらえればありがたいと。それぞれの役割を活かしながら一緒にやって 行ければと思っています。
商店街ソングを地域の小学校とつくる
子どもたちとやってきた活動の中で、特に印象的だったのがまちの歌をつくったことです。
地域の中にある西寺尾小学校で、わたしが総合学習の支援をさせていただいているのですが、そこで子供たちの
制作物のお手伝いの1つとして商店街ソング制作があります。たまたま音楽好きなクラスがあってまちの歌を作っ
てみたいという相談があり、「じゃあ商店会と一緒に作りましょう」ということになりました。地域で何かをして
形にしていくことはとても良い事例になったと思っています。
やっぱり子供たちの力、個性や感性は素晴らしいものです。こうした活動を通じてすごく成長します。歌づくり
を通じて地域のことを知ったり、何を伝えたいか考えてもらったりできたと実感しています。
完成した歌は、「未来へつなごうオオカミタウン」というタイトルで、区民祭で発表させていただきました。西
寺尾小学校&大神商店会のコラボレーションです。これを CD にして大神フェスタの時も8会場で流しました。西
寺尾小学校では校歌と同じくらい全校生徒に親しまれています。
そのうち YouTube でビデオクリップ ができますので、ぜひ見ていただけたらと思います。地域にある岩崎学園
の専門学生たちが子供たちと一緒に撮影や編集をして完成した動画がその成果になります。
長い内容になりましたが、私は私の生まれ育ったこの街を次の世代へ繋げていきたい。この街の良さを地域のみ んなで実感していきたいと日々考えています。今後ともよろしくお願いいたします。